印刷で価値ある文化を創造する

薩摩の出版文化

5世紀末から19世紀にかけて、島津氏をはじめとする薩摩の人々は優れた、個性的な書籍を数多く出版しています。
日本の朱子学興隆の基礎を築いたのが桂庵玄樹です。桂庵は文明10年と延徳4年(1492)に『大学章句』を刊行しています。

地方の出版事業としては古い部類に入ります。18世紀、幕府や諸藩は多くの書籍を刊行して学術振興に力を注ぐようになりました。薩摩藩で出版事業を興して力を注いだのは25代島津重豪です。重豪は薩摩の文化水準の向上を図って開化政策を推進し、その一環として『成形図説』『円球万国地海全図』『天文図略説』などを編さんさせ「薩摩府学蔵版」として刊行しました。

西欧列強の植民地化政策に強い危機感を抱いた28代島津斉彬は、日本を西欧列強のような近代国家に生まれ変わらせなければならないと考え、嘉永4(1851)年、薩摩藩主に就任すると集成館事業と呼ばれる富国強兵・殖産興業政策を推進しました。こうした事業に必要な知識を得るため、蘭学者たちと親交を深め、西欧の科学技術を紹介した『遠西奇器述』『航海金針』などを出版させました。さらに、日本を生まれ変わらせるには、教育・文化水準の向上が欠かせないと考え『四書集註』『五経』『古文孝経』などの古典や『散花小言』『施治攬要』などの医学書を刊行させました。また斉彬は西欧の活版印刷技術に注目し、鉛活字の製作を江戸の木版師木村嘉平に命じました。

薩摩藩と幕府との関係は次第に悪化し、明治元(1868)年、久光・忠義父子は倒幕に踏み切りました。この間に薩摩藩が出版した書籍は、『重訂英国歩兵練法』『軍防令講義』などの軍事的なものが中心でした。

明治維新後、世の中が落ち着きを取り戻すと『五経』や『三字経』『鼇頭増補字林玉篇大全』のような教科書・辞典類、神道の解説書『神習草』『公私日用文章』という文例集、西洋のマナーを説いた『智環啓蒙』などが藩版としてあい次いで出版されました。明治4年の廃藩置県で藩版の歴史は幕を降ろしました。この間、薩摩藩の藩版は30種類以上にのぼります。水戸藩の約60種、長州藩の約38種に次いで多く、薩摩藩が出版事業に力を注いでいたことがうかがえます。

(資料提供:尚古集成館)